今から40年前の1983年、ある革命がゲーム業界を変えました。それは、家庭にゲームの楽しさをもたらし、世界中の人々を魅了した一台のゲーム機、それがファミコンです。
2023年7月15日、私たちはその歴史的な瞬間から40年を迎えます。40年前、誰もがその存在を知り、その魅力に引き込まれたこの小さなゲーム機が、どのようにして私たちのエンターテイメントの世界を変えたのかを、ほんの少し振り返って見たいと思います。
ファミコンの歴史
ここ数年、当時のゲームが「レトロゲーム」というカテゴリーとして、再び人気が高まっています。私たちは、その記念碑的なゲームたちを再びプレイし、その魅力を再確認しています。
ファミコンが私たちにどのような影響を与え、私たちのエンターテイメントの世界をどのように形成したのか、今回はそれを見てみます。
1983年、それまで主にトランプやボードゲームを製造していた任天堂は一台のゲーム機を発表しました。その名も「ファミリーコンピュータ」、通称「ファミコン」。この小さなゲーム機は、その後のゲーム業界に大きな影響を与えることになります。
その時代の最先端の8ビット技術を使用しており、破格な性能を持つファミコンは、今でもシリーズが続く多くの人気ゲームタイトルを生み出しました。
「スーパーマリオブラザーズ」をはじめ「ゼルダの伝説」、「ドンキーコング」など、これらのゲームは、ファミコンが世界中の家庭に普及するきっかけとなりました。
その後、ファミコンは進化を続け、新しいゲーム体験を提供し続けました。その革新的なゲームデザインと高品質なタイトルのラインナップにより、全世界で大成功を収め、ビデオゲーム業界の黄金時代を牽引しました。
私たちはその革命から40年を迎えています。ファミコンは、ゲーム業界に大きな影響を与え、私たちのエンターテイメントの世界を形成しました。そして、その遺産は今日でも続いています。
思い出のゲーム
たくさんのタイトルが発表され、任天堂の「発売ソフトタイトル数推移表」によると、発売された合計タイトル数は日本が 1,047、北米が 679、その他が 351 となっています。ただし、この数は非売品や非ライセンス品は含まれていないため、実際にはファミコンソフトの総タイトル数は、実に 1,252 タイトル (カセット 1,053 本+ディスクシステム 199 本) とも言われています。※諸説あり
その中で今回は、コダシマが生まれて初めてファミコンでプレイしたゲーム、ローンチタイトルでもある「マリオブラザーズ」をプレイしながらちょっと語りたいと思います。
本来は実機でプレイするのがベストなのですが、最近ではもっぱら Recalbox を使っています。日本で一番 Recalbox の情報を発信していると自負しております。※あくまでも個人の見解です
今回、元の企画は Recalbox のものだったのですが、最近アップしたばかりだったのでファミコンに全振りしました。
絵柄バージョンになって再販されたマリオブラザーズではありますが、当時の現物もあり、また「レトロブライト」今年もやってみようかと、いい感じに色づいたファミコンも揃っているため、実機で当時を再現できそうでしたが、程度の良いブラウン管TVが手に入らなかったのと、途中から面倒になってしまったので、エミュレータを使うことにしました。
というわけで、実機は使いませんが、ちょっとでも当時の雰囲気を味わうため、17型のスクエアモニタを引っ張り出してきました。ちなみに、以前の職場からご寄付頂いたものです。
また、このモニターに接続するために VGA 端子のあるコンパクト PC Lenovo ThinkCentre M72e Tiny を使います。こちらは普段 MX-Linux を動かしているやつです。
で、ファミコンがコダシマ家に導入されたのはスーパーマリオがブレイクした1985年だったと記憶しています。しかも一緒に買ったタイトルは「いっき」。
ではなぜ「マリオブラザーズ」が初めてプレイしたゲームだったのかというと、実は近所の幼馴染の家でたっぷり遊んでいたからです。
彼の家には、ファミコンに限らずゲーム機というゲーム機が揃っており、ゲーム&ウォッチをはじめ、カセットビジョンやセガまである充実っぷり。小学校に入る前からよく遊んでいたので、ゲームがしたくなると、だいたい彼の家へ遊びに行きました。
コダシマ家が貧乏なのと、近くにそんな友達が居たため、ファミコンの導入が他の家庭よりも遅くなったのでした。
小学4年生のとき、新しいゲーム機を買ったからということで彼の家に遊びに行き、生まれて初めてファミコンの現物を目の当たりにし、プレイしたのがマリオブラザーズというわけです。もちろんボタンは四角いゴムのやつでした。
で、マリオブラザーズがアーケードからの移植だということを知ったのは、それからしばらく経ってからのこと。
クラスの半数以上がファミコンを持っている状況になり、多少はコダシマも欲しくなっていたのは事実ですが、「今日はAの家でワイルドガンマン、明日はBの家でゼビウス」みたいな感じで、持っているタイトルごとに友達の家に行って遊ぶ毎日でした。
それでも、どうしても家にファミコンが欲しくなったのは、先程お話した「マリオブラザーズがアーケードからの移植」ということを知ったときからです。
それはある日のこと、家族で隣町のデパートへ買い物に行った際、そこの催事場の脇に数台あるアーケードゲーム機の一台にマリオブラザーズがありました。※ちなみにドンキーコングもあったはずです
「え?どゆこと?」と思い、とりあえず、わずかしか無いお小遣いでプレイしてみると、友達の家でプレイしたものと…、つまり、ファミコンのゲームがアーケードのものと遜色がないことを知りました。マリオブラザーズはファミコンのローンチタイトル。つまりは同時発売のゲームです。いちばん最初のゲームが、あの大きな筐体のゲームと同じ?
そう、当時のファミコンの性能がえげつない事を、その時初めて知り「アーケード並の性能を持つ家庭用ゲーム機」という事を知ってしまうと、欲しくてたまらなくなってしまったということです。
んで、親に頼みに頼んでようやく買ってもらったときには、クラスの大半がスーパマリオブラザーズをプレイしていました。
んで、なんでその時選んだゲームが「いっき」かというと、当時遊びに行っていた友人の一人が持っており、キャラクターの動きが面白すぎてついついはしゃぎ過ぎてしまい、それがもとで出禁を食らったという、小学校のほろ苦い思い出があります。
まぁそれと、スーパマリオがやりたくなったら誰から借りればいいとか、そんな感じで持っている人が少なかった「いっき」を選んだというところです。
何はともあれ、いずれのゲームも、今のゲームにはない操作感やグラフィックス、シンプルながら耳に残るサウンドと、奥が深いゲーム性は、確かに一つのカテゴリーとして存在できるものだと思います。
面白いものは、面白いんですよね。
いろいろと予定通りに進まなく、ゲームチャンネルもまだ手つかずですが、本当はファミコン発売40周年に合わせて、いろいろしたかった気持ちだけは知ってほしかったコダシマです。
今回のまとめ
今回は、ファミコン発売40周年にあやかって、当時のことを少々語ってみました。
その革新的なゲーム、その影響力、そしてその遺産は、今でも私たちのエンターテイメントの世界を形成しています。
当時は、ゲーム1本を手に入れるのも大変で、皆が皆違うゲームを手に入れて、お互いに貸し借りしあっていました。借りパクとかいう文化も生まれてしまいましたが、まぁ、それはそれ。
情報の入手方法も限られており、攻略本を片手に夜遅くまでプレイして親に怒られたり、情報誌のウソ情報を信じて振り回されることもしばしば。
なけなしのお小遣いで買ったゲームがクソゲーだったり無理ゲーだったりで涙を流したこともあったことでしょう。
数々の社外現象を巻き起こし、ゲーム業界から派生したたくさんの産業が生まれたのは、みなさんも知るところでしょう。
それほどまでにファミコンはインパクトがありました。
40年という歳月の間で、皆さんにもたくさんの思い出が生まれたことと思います。みなさんのファミコンにまつわる思い出をぜひコメント欄にお寄せください。そして、ぜひ、この機会に昔を思い出しながら、昔のゲームで楽しいひとときをお過ごしください。